森ヒロコ・スタシス記念の意味

 「森ヒロコとスタシスの友情を記念する」想いを込めました。1978年、館長 長谷川洋行はスタシスの小さな銅版画に出会い、その魅力に惹かれワルシャワの彼のアトリエを訪ねます。1987年、長谷川洋行が企画(NDA画廊、札幌)した初めてのスタシスの個展でスタシスは森ヒロコと出会い、その暖かい人柄と、その作品に魅了されたようです。2017年、森ヒロコへの追悼メッセージの中にも、スタシスは「常に森さんのことを偉大な人物、偉大なアーティストとして思い出している。」と寄せています。

作家紹介


森ヒロコ

 北海道小樽市生まれ。女子美術短期大学卒業。天使や子供や猫などの動物をモチーフにした作品が古い蔵に多数展示されている。1972 年に全道展知事賞を受賞、世界各地で個展を多数開催。ドイツ、アメリカ、イギリスなどの海外巡回展で高い評価を得た。
 1993年に森ヒロコ・スタシス美術館を開館。2017年5月1日死去。74歳。2021年森ヒロコ・スタシス記念小樽バザール・ヴィタ美術館と名を変え再開館。

 「小樽の古き良き時代、昭和6年に父が建てた、生家の石蔵。その中に展示されている作品たちは、余程、住み心地が良いのだろう。太い梁に支えられた、石と木の蔵も、紙に刷られた、少年、少女達も、ひっそりと呼吸しているように、何度でも古びる事なく、生々としている。そして、そこを訪れる人をも、心地良くしてくれる。」(旧 森ヒロコ・スタシス美術館ホームページより、森ヒロコが遺した言葉)

 

[主な受賞歴、展覧会]

1972-75年 全道知事賞、道立美術館賞、会友賞

1972-76年 日動 版画グランプリ展(76年受賞)

1981年 日本幻想画家展(アルファーマン画廊・ドイツ)

1982年 幻想者たち展(ケルンなどドイツ国内を巡回)

1983年 北海道の美術展(カナダ)

1985年 イメージ・水展優秀賞受賞(北海道近代美術館)

1984-85年 CWAJ現代日本版画展(東京)
1985-86年 CWAJ現代日本版画展(カナダ、アメリカ、イギリスを巡回) 等。

スタシス・エイドリゲヴィチウス(Stasys Eidrigevicius)

 1949年生まれ、リトアニア出身のアーティスト。カウナスの工業学校で皮革デザインを専攻した後、ヴィリニュスの美術学校で絵画と版画、グラフィックアートを学んだ。1973年以降、小さな銅版画(蔵書票)は国外で高い評価を受け、ポーランドやポルトガルなどの国際展で多くの賞を獲得。ポーランドを代表するアーティストとして国際的に活躍。当美術館では、2002年に絵本原画回顧展、2003年にドローイング展を開催。

 

 [主な受賞歴]

1984年 ポーランド首相賞

1984年、88年 ワルシャワ市長賞

 【グランプリ】

1983年 リガ国際版画トリエンナーレ

1986年 バルセロナ国際絵本展

1988年 ラハチ国際ポスタービエンナーレ

1990年 ベルグラード国際絵本展

 1991年 ブラチスラバ国際絵本ビエンナーレ

アルビン・ブルノフスキ(Alubin Brunovsky)

 1935年チェコスロバキアに生まれる。ブラチスラヴァ美術工芸学校卒。

 63年から80年にかけてブラチスラヴァ、プラハなど国内の他、ベルリン、デュッセルドルフ、ウィーン、ジュネーヴなど、各地で個展を開催。ルガーノ、パリ、リュブリャーナ、ベルリン、ブルノ他、多くの展覧会で賞を獲得。

 67年にブラチスラヴァ世界絵本原画展で金牌、77年には金のりんご賞受賞。68年、その年の最も美しい本賞に選ばれる。ライプツィヒIBA賞、ボローニャ国際絵本原画展作品賞受賞。

 切手や紙幣のデザインでも多くの優れたデザインを残し、生涯に100冊を超える絵本のイラストを残した。

ユゼフ・ヴィルコン(Jozef wilkon)

 1930年、ポーランドに生まれる。クラクフ美術大学で絵画を、ヤギェウォ大学で美術史を学ぶ。

 ポーランド国内では100冊以上、外国では50冊以上の絵本を挿絵画家として手掛け、世界を代表する絵本作家の一人である。

 他、彫刻、雑誌挿絵、絵葉書やデザイン、舞台装置でも活躍。ライプツィヒ金賞、BIB金賞、ボローニャグラフィック賞など、国際展で数々の賞に輝き、『What is this? なにかしら』で89年度のライプツィヒ栄誉賞を受ける。現在はワルシャワ郊外の広い庭のある家で、自然と多くの動物に囲まれながら、作品制作を続けている。